2018-09-13

プー子、ライプツィヒでバッハを感じる

さてさて、DBを乗りついで、優しいみなさんに助けてもらって、
プー子はついに、ライプツィヒの街に繰り出した!





まずは、ワグナーさんの銅像。
ワグナーさんも、ライプツィヒ生まれなのであーる。


この銅像の近くで、手錠をかけられている若者を見た。やっぱり治安悪いのかな...






こちらは聖ニコラス学校。ライプツィヒ初の市民学校。ワーグナーさんも、ライプニッツさんも、ここで学んだそうだ。







聖ニコラス学校の向かいに建つのが、ニコラス教会!!
JSバッハの主な勤務先は聖トーマス教会だけど、バッハはニコラス教会でもカントールだったそうな。



ニコラス教会の中
全体的に、淡い色で統一されていて、とっても綺麗。



椅子の形も、ちょっとピアノみたいでかわいい。



とっても綺麗な内装。天井はシュロの樹を表しているらしい。ここのオルガンはザクセン州で一番大きいそうな。


「ヨハネ受難曲」の初演は、ここだったそうだ。
というわけで、プー族も「ヨハネ受難曲」を歌った!

プ!... プ!... プ!....
ププ、ププププププププ 
ププププププププ...

プー子はヨハネ受難曲が大好き。NHKラジオの「朝のバロック」のテーマ曲にならないかなあと思っている。







続きまして、旧市役所。
前に立っているのはゲーテさんです。


ここの旧市役所で、バッハは、トーマス教会のカントールとして契約書にサインをしたそうな。








それからライプツィヒ美術館に寄って、いかめしいベートーヴェンの彫刻を鑑賞。

続きましてー、カフェ!


ここはZum Arabischen Coffe Baumという、ドイツ最古のカフェ。ロベルト・シューマンとダヴィド同盟のみなさんも、ここで会合をしていたそうだ。

もちろん、プー族は、フロレスタンとオイデビウスごっこをした。







そしてやってきました、トーマス教会!


教会の前の広場には、大きなJSバッハの銅像が立っていた。当初の予定からずいぶん変更された銅像だけれども、オルガンの前にバッハを立たせるというアイデアは、創作当初の意図のままなんじゃそうな。

よく見ると、バッハのチョッキの第二ボタンが外れている... プー子はちょっと、この銅像を見て、泣きそうになってしまった。だってプー子、バッハ好きだもの。




運良くこの日は金曜日で、モテットがあった。
モテットというのは、宗教音楽がメインの、ミサコンサートのこと。
プー子は、開場を待っているあいだに、向かいのバッハ博物館に行って、バッハ博物館特特製バッハの本を買った。バッハの本を読んでいるうちに、教会が開いて、みなさんゾロゾロ中に入っていった。
プー子も、前の人に続いて、ゾロゾロ...
入り口で、タキシードを着た男の子がお会計をしていた。
プー子は、このモテットが有料だと知らなかったので、ドイツ語で、
「おいくら」って、ドイツ語で訊いた。
お値段は、たったの2ユーロだった。

初めて入る、聖トーマス教会。
ここでバッハが30年近く働いていたと思うと、感慨深い。

本を読みながらしばらく待っていると、ついに始まったモテット。

トーマス少年合唱団が厳かに入場。
この少年合唱団は、バッハの時代から続いている、由緒正しき合唱団なのだ。
オルガン音楽が鳴り響く。もちろん曲はバッハ。
ウィーン少年合唱団パートリーダーのお兄ちゃんがいたので、トーマス少年合唱団のみなさんは緊張なさっていたみたいだったけど、それでも合唱団の歌はとっても綺麗だった。
プー子の隣の人は、こっそりアイフォンで録音していた。

一応ミサっぽいこともするので、お説教を聞いたり
立ったり座ったり、歌ったり読んだりした。
ドイツ語の歌詞をチャッと読んで、チャッと歌うのは、
結構大変だったけど、楽しかった。
バッハの働いていた教会で、みんなでバッハの音楽を歌うなんて、
プー子は、バッハを生きている気がした。





翌日、再び聖トーマス教会へ!


前日行けなかったバッハ博物館を、じーっくり見て回るのだ。夜のあいだにバッハ本を読み終えたプー子は、バッハ博士!バッハのことは、なんでも訊いて。



バッハ博物館は、平湯温泉ぐらい、いいところだと思う。特にこの部屋が面白かった。バッハの時代の楽器を展示してある部屋。



この部屋には、いつでもバッハの音楽が流れている。



部屋の壁には、楽器のイラストがあって、今流れている音楽に参加している楽器のところが光る。

そのボタンを押すと、その楽器の音が少し大きく聞こえる。プー子はこれで、ヴィオラ・ダモーレとか、今はもうほとんど見ることのない楽器の音を知った。この部屋に長く居座って、新たにやってくる人に、部屋の仕組みを説明したりした。



バロックフルート


足を放り出して吹くのが正しいそうな...
ほんまかいな









バッハ博物館では、トーマス教会カントールとして、バッハが過ごした毎日を細かく知ることができた。トーマス教会には、トーマス学校があった(今はもうない)。規則の大変厳しい学校で、バッハはそこで生徒の指導もしていたそうな。

バッハにとって、宗教音楽というのは、とおっても大事だったんだなあと思った。




博物館の窓から、トーマス教会広場のバッハ像を望む...


バッハの直筆譜、バッハのつけていたベルトを見て、2005年に新たに発見されたカンタータを聴いたり、チェンバロを弾いたり、プー子はすっかりバッハの時代に浸った。

トーマス教会とニコラス教会を行き来するバッハが見えるよう...





博物館をたーっぷり堪能したあと、
もう一回トーマス教会へ!
なんと結婚式の最中だった。
オルガンが大音量で鳴っている中を、新郎新婦は歩いていった。
ああ、トーマス教会は、今もこうやって、教会なんだなあ、と思った。

周りを見ると、日本人とおぼしき観光客の女の人が感極まって大泣きしていた。
プー子は、大げさな、と思ったけど、ちょっともらい泣きしそうになった。






トーマス教会のステンドグラス
バッハです







トーマス教会は、マタイ受難曲の初演でした。ということで、プー族は、ここでマタイ受難曲を歌った。


プープププープープーウーコー
プープププープープウウーコー...

いきなり終曲!







なんだかライプツィヒって、バッハの時代に想いを馳せるというより、
バッハの時代に入ってしまったような気のする街だった。
バッハはこの街で生きているのだ!とプー子は強く思った。
熱情がはねっ返る、プー子の、アーバンブルースへの貢献。


2005年に発見されたバッハのカンタータ。とても綺麗な曲だと思う。

2018-09-11

プー子、ライプツィヒで携帯電話をなくす

DBのトラブルを乗り越えてプー族講演を無事に終えたあと、
やっとの思いで、翌日、プー子たちはライプツィヒに着いた。

ライプツィヒは、J.S.バッハが長く住んでいた街で
実は、バッハ大好きなプー族としては
2009年の渡仏以来、ずーっと行きたかった街なのだ!
念願が叶って嬉しい!

ライプツィヒでは、駅の近くのホテルをとっていた。
そこにチェーックいん!
少し休んでから、出かけた。
お昼ご飯を食べていなかったので、
たまたま見つけたおいしそうなベトナム料理屋さんに入った。
それで、携帯電話を見ようとして...

ない。

携帯電話がなかった。
どこを探しても見当たらなかった。

ああそういえば、さっきベトナム料理屋さんのメニューを読むために
道で立ち止まったのだった!
そのとき、プー子に近づいてきた人がいたのだった!
もしかして、あれは、スリ!!!!

ホテルを出たときは、たしかに携帯電話があった。
リュックのポケットに入れておいたのだ。
ああどうしよう
レストランの給仕のお姉さんは、
リュックポケットなんかに携帯電話を入れたらだめ!という。
えええ ストラスブールでは、そんなの安全なのに...
もちろん、パリでは、しないけど...
ライプツィヒはパリほど大きい街じゃないので、うっかりしていた。

そういえば、さっきから物乞いの人を、たくさん見た。
ちょっと怖そうな人たちがたむろしているところも通った。
もしかして、ドイツは、治安が悪いのかもしれない...

プー子は、うっかりしていた!
気付いた時には、後の祭り。
とりあえず警察に行って、被害届を出さなくちゃ、
フランスに帰ってから必要な手続きをすることができない。
給仕のお姉さんは親切だったけど、英語があまりできないので
プー子のドイツ語もそこまでできないので、
プー子は一路、ホテルに帰ることにした。
ホテルの受付のお姉さんは英語ペラペラだったから、きっと手伝ってくれるはず!

ああ バッハ観光どころじゃないよう、
と、思いながら、ホテルまで急いで帰った。


ホテルに入ろうとしたとき、
大きな男の人が、プー子の方にやってきた。
その人が言うには、「プー子ちゃん、さっき携帯電話落としただろう!」

プー子「どうして知ってるの!」
おじさん「さっき拾ったんだよ、それで駅の警察に届けたんだよ!」
プー子「...!! ダンケシェーン!!!!!!」

おじさんは、さっき、プー子が歩いたあとに、携帯電話を落ちているのを見たらしい。
けれどもそのときにはプー子はいなくなったあとで、
なんとご親切にも携帯電話を、警察に届けてくれたのだ。
おじさんはドイツ語しか話せなかったけど、
プー子もドイツ語を理解して、ドイツ語で会話した。

正直なところ、プー子は最初、ちょっと半信半疑だった。
でもおじさんは、プー子の携帯電話の外見をちゃんと知っていた。
おまけに駅まで一緒にきてくれて、警察はここだよと教えてくれた。
警察まで一緒に行ってほしかったけど、
警察の場所だけ教えて、おじさんは帰ってしまった。

一人で警察に入ったプー子。
警察のおじさんに、プー子は一生懸命、事情を話した。
英語とドイツ語とドイツ語で話した。

警察のおじさんは、最初は無表情で聞いていたけど、
ときどきニコリとしたりしながら(プー子が美しかったからかもしれない)、
最後には、プー子の携帯電話を持ってきてくれた!!!

「携帯電話のロックを解除できたら
プー子ちゃんに携帯電話を返してあげるよ」というので
プー子は、「おじさん、目え開けてちゃんと見といてね!」と言って
携帯電話のロックを、サラリと解除!!!


ふう... ことなきをえました。

拾ってくれたおじさん、最初少しだけ疑ってごめんなさい。
警察のおじさんが言ってたけど、これは本当にラッキーなことらしい。
関係者のみなさん、本当に本当に、ありがとう!
Vielen vielen vielen Dank!

それでプー子は、給仕のお姉さんの言っていたことも思い出して
携帯電話はカバンの中にしまって、市内観光に向かったのです。

そういえば、ホテルを出たときに、ホテルの鍵をリュックにしまおうとして
リュックをぐるりと回したなあ。
きっと、そのときに携帯電話が落ちたんだろう。
あぶないあぶない。

次は、ライプツィヒ・バッハ編。乞うご期待!

プー子、DBに乗る。

こんばんは、プー子です。
去年と同じように、フィンランドに行ったあとはドイッチュラント!
ということで、先週プー子たちはドイッチュラントに行ってきた。

しかも今回は、ライプツィヒまで行った。
ライプツィヒといえば、すっかり東ドイツ。しかもちょっと北のほう。
ストラスブールからちょろっとドイツに入るのとはわけが違う、
いわば、プー子は、ドイツの懐に入っていった!!

実際に、プー子は今回の旅で、色々なドイツ体験をした。

まずは電車!ドイツの電車は、DB、ドイッチェバーンという。
実はプー子は、これに乗って旅行するのは初めて
DBのサイトから切符を予約して、ドキドキ...




朝8時すぎ、
ストラスブールの隣町
ケール(ドイツ)から出発。












DBは、一等席と二等席があって、二等は原則自由席。
あんまり値段の差がなかったので、
行きは一等席にして、帰りは二等席にしてみた。
なんと一等席では、車掌さんがクッキーを持ってきてくれたり
新聞を持ってきてくれたりする!それも結構おいしいクッキー。
コーヒーの車内販売もあって、ちょっと日本の新幹線みたいだ。
ああ、なんて心地よい旅だろう、さすがドイッチュラントの電車だ...

と、

思ったのも、

つかの間。

実は、ライプツィヒに行く前に、プー族の講演を聞きたいという人がいて
そのために小さい街に寄る用事があった。
その街に行くまでに、電車を4本乗り継ぐはずだった。
ドイツの電車は、フランスの電車と違って、長距離を一本で行くのは難しいらしい。
大きな都市ごとに、次の電車に乗り換える。
地方分権の進んだドイツらしいシステムだ。

で、問題は!
プー子たちの3本目の電車が遅れて、
乗り換え駅に着いたころには、4本目の電車が出発してしまっていた!

駅で問い合わせたら、1時間後の電車に乗ってください、ということで
どことも知れない駅で、1時間待ち...


そうしてやってきた電車に乗ってしばらく...
車内アナウンスによると
トラブルがあって、目的地の駅には停まらないという!!!

それで別の駅で降ろされて、また別の電車に乗って、
また別の駅で乗り換えなければいけなかった。
4本の電車で済むところを、6本乗れ、とな!

当初の到着予定時刻は12時半、
14時を過ぎてもまだ着いていなくて、
最後は6本目の電車を諦めて、タクシーで目的地まで向かった。

プー子たちを迎えてくれた人によると、
DBは、遅れるので有名らしい...

そんな!!!

そういえば、電車のチケット予約のときも、
乗り換え時間は短い方がいいか、長い方がいいか、訊かれたのだった。
プー子は、そりゃ知らない駅でぼーっと長い間待つよりも
さっさと乗り換えた方がいいと思って、乗り換え時間の短い電車を選んだけれど、
それってつまり、電車が遅れるかもしれないことを見越して
乗り換え時間の長いのがいいか、選べたのだ!
なんという!ドイッチェバーン!
あのクッキーも、あらかじめ、遅れるかもしれないけどすみませんって意味だったのかもしれない...



2018-09-02

プー子、フィンランドの森と湖

こんにちは、プー子です!

もう9月になってしまったけど、
この夏のフィンランド旅行のことを書きまーす。


ヘルシンキを出て、プー子たちは電車でトゥルクに向かった。
ヘルシンキの駅にあった「ヘスバーガー」でテイクアウトして
電車の中で、食べた。
ヘスバーガーというのはフィンランドのバーガーチェーンです。
プー子は、ライ麦パンにポークフィレを挟んであるハンバーガーを食べた。
黒いライ麦パンでバーガーを作るなんて、さすがフィンランド。
ハンバーガーの中には、なぜかコロッケ?も挟まっていて、斬新で、美味しかった。


トゥルクというのは、フィンランドの昔の首都です。
今は、フィンランド第3の都市です。
この街は、海を渡るとすぐスウェーデン。
ちなみに街の名前は、フィンランド語でトゥルク、スウェーデン語でオアポです。
全然ちがう!


トゥルクに行った主な目的は、
人間たちお客さんがムーミンワールドに行きたがったからです。
トゥルクからそう遠くない場所にムーミン谷を模したテーマパークがあって
人間たちはそれを見たかったらしい。

でもプー子旅行エージェンシーでは
代表取り締まった役のプー子も、事務局長のお兄ちゃんも、
ムーミンに興味がないので、人間たちにはガイドなしで行ってもらいました。

その間、プー族は、ホテルのサウナ&プールでまったり。
フィンランドのホテルには、サウナが付き物なんじゃなあ
そういえば、ヘルシンキで滞在したアパートにも、
地下にアパート専用サウナ&プールが付いていた。

プー子はサウナに入って、デトックス!

旅行中は毎日歩いているし、慣れないことの連続だから、
こうやってサウナに入って身も心もスッキリするのは大切なことなのでーす。
サウナって、静かだから、落ち着くわあ

フィンランドのサウナに入ると、ストーブの上に熱い石が置いてある。そこに水をかけて、水蒸気をジャンジャン出すのがフィンランド流。そうするとただ単に熱いだけじゃなくて、湿気がひろがるので、サウナ特有の呼吸しづらい感じがない。むしろ、なんだかとっても、気持ちいいーのです。


トゥルクに2泊したあとは、レンタカーを借りて、ユヴァスキュラへ!
ユヴァスキュラは、フィンランド内陸にある街です。
トゥルクから車でまっすぐ行くと、4時間弱。
途中タンペレというフィンランド第2の都市に立ち寄って(ここでもムーミン!)
「からたちの花」を歌った。


フィンランドの道路は、なんというか、とっても眠い!

どこまで行っても、森と湖。
ほかに走っている車も少ない...
制限速度も、50、80、100キロの間でコロコロ変わるので、全然すすまなーい!
高速道路は120キロだけど、トゥルク〜ユヴァスキュラ間には、殆どなかった。
プー族は、お歌を歌って過ごしました。



国道沿いに時々レストランがあるので、そこでお昼休憩。すごく感じのいいログハウスだった。


こんな田舎でも、給仕のおばちゃんはニコニコと英語で話してくれた。プー子は、白身魚のスープとライ麦パンにした。とても美味しかった。



今回の旅で会ったフィンランドの人は全員、観光客を相手にするときでも、嫌な顔をしなかった。プー子たちはきっと、現地の人たちのやり方を知らなくて、モタついていたところもあると思うのだけれど、そんなプー子たちを見ても、郷に行っては郷に従えとは言わずに、ちゃんと聞いてくれて、丁寧に説明してくれる。それが、こんな田舎まで浸透しているなんて!なんて心地よいこと!(しかめっつら文化のフランスの皆さん、見習って!)



そうして到着したユヴァスキュラ...
プー子たちは、ユヴァスキュラ近郊の小屋に泊まった。ここで3泊。

目の前は湖。100キロほど続く巨大な湖で、水がとーっても綺麗だった。
ヘルシンキの人たちは、ここの湖の水を飲んでいるらしい。
なんでも、フィンランドでは、水道水のほうが売っている水より美味しいんだそうだ。



静かな朝

湖の水の音が聞こえまーす
平穏そのもの
この湖をずっとずっと南に行けばラフティまで行けちゃうのだ。


お家の周りには、白樺と赤松。この白樺の葉っぱが、風になびいてサラサラと言うのが気持ちいい!


「白樺の夏の雨に プーちゃんの目が濡れる
白樺の夏の雨に プー子ちゃんの心が濡れる」byお兄ちゃん
家の前には湖に向かって桟橋がかかっていて、そこから湖に入れるようになっている。

サウナ小屋で温まるのと、湖で泳ぐのを交互に繰り返すのが、本格サウナの醍醐味!

去年もこれをしたけれど、去年のところは周りを木に囲まれた池だったので、湖の方がお日様にあたって水温が高くて入りやすかった。

お庭にスグリの実がなっていた。リンゴンベリー(ツルコケモモ)もいっぱい。ちょっと離れたところにはブルーベリーもあった。全部食べた。

プー子は、毎日ここで暮らしたい。
ほかにどこにも行きたくなくなる幸せ...







とはいいつつも、3日目には少し観光した。

こちらはペタヤヴェシの古い教会。世界遺産だそうでーす。なんでも18世紀ぐらいに建った教会で、スウェーデン文化ともロシア文化とも異なっていて、ウンタラカンタラなのだそうです。詳しくはウィキペディアでお調べくださーい。


これは教会内部の有名な説教壇。

当時のフィンランドの人たちが想像した「天使」です。







青髭のおじさんが支えている。


古くて分厚い木造で、外に森が見えて、ああ、のどかさの極み。
ユヴァスキュラ近くには、アルヴァー・アアルトの夏の家もありまーす。去年行ったヘルシンキのアアルトさんちはこちらをご覧くださーい。


アアルトさんの夏の家は森の私有地の中にあった。ヘルシンキのアアルトさんちの方が、長居しやすかった。




ユヴァスキュラ最終日は、みんなでバーベキュー
水遊びをして、バーベキューをして、いかにも夏です!



ユヴァスキュラを離れる日。
この日は少し曇っていた。

それでもプー子はわかる。
きっとこの場所は、晴れていても、雨でも、秋でも冬でも春でも、どんな日でも、きっととても美しいに違いない。本当に、いいところだった。去年行った森もいいところだった。フィンランド万歳。





さてさて、ユヴァスキュラからヘルシンキまでは、車で3時間ぐらい。
レンタカーを乗り捨てて、最後のヘルシンキ滞在!




森は素敵だったけど、ヘルシンキも素敵!海がキラキラ。プー族もキラキラ。


フィンランドは、どこもかしこも素敵なところ。きっとまた来るからね!