今日は、とてもいいことがあった。
うちにピアノがやってきた!
本物のピアノじゃなくて電子ピアノなのが、とてもとても残念だけども
うちは引越しが多い家庭なので仕方がない。
何回も転校ばかりして、新しい友達ができなくて屋上に逃げ出したくなって、
長崎あたりでアレヨアレヨという間にジャズを始めても仕方ない。
いつか住む街が定まったら本物のピアノを買う予定なので
それまでのあいだの繋ぎとして、この電子君が来た。
名前はフレデリック。
ショパンから取ったのではない。
ショパンが、この電子君から名前を取ったのだ。
これでついにピアノのない生活から脱出できる!
記念撮影
手慣らしに、ミカちゃんはいろいろな曲を弾いた。
バッハ、ベートーヴェン、シューマン、ドビュッシー…
ドビュッシーは全然指が回っていなかった。
久しぶりなのに難しい曲を弾こうとするからだ。
その中に、セヴラックがあった。
セヴラックの音楽には、トゥールーズの光が溢れていて
ボクはとってもトゥールーズが恋しくなられた。
ああジャルダンロワイヤルの木漏れ日よ…
ボクたちは、なんて遠いところまで来てしまったんだろう。
それからミカちゃんはチャイコフスキーの秋の歌を弾いた。
実はストラスブールは、9月に入ってから涼しい日が続いて、秋っぽくなっている。
今まで南仏で過ごしていた9月と全然違うので、ボクは心の準備ができていない。
ボクはどうかこのまま秋にならないでほしいと思っていた。
けれども秋の歌を聞いていたら
もうそれは秋満開というか秋の終わりの雰囲気がしていて、とても切なくなった。
木枯らしが吹いては落ちた葉っぱがくるくる回っている。
ちょっと秋の陽が当たる瞬間があって、そのときは暖かいんだけれども、
茶色い 葉っぱは静かに散り続けるのだ。
最後の一枚が、ほんの小さな風に吹き上げられて
あっけなく落ちていく、その終わりまで、とっても切ない。
そういう曲だ。
どうもミカちゃんはこれをしばらく練習する気らしくて
何度も何度も弾いていた。
そのたびにボクは、最後の一葉が落ちる切なさを感じた。
ご存知ない方のために、こういう曲です。
ボクは昔、トラダテラヒコというペンネームで
この曲についてエッセイを書いたことがある。
そういうわけで、ボクはすっかり、秋を迎える準備どころか
初雪を迎える準備ができてしまった。
今年はトロイカに乗るぞ!
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