プー子たちは、ボルドーにいる。
最近は、朝晩がひんやりしてきて、夏は確実に終わってしまったのを感じる。
夏というのは、いつまでもダラダラ残っていると思っていても
ある日気付いたら急に居なくなっているので、ちょっと寂しい。
先週からミカちゃんの仕事が始まったので、この週末は
少しピクニック気分を味わってリフレッシュしようということで、
ピエールおじさんも一緒に、ボルドーの隣の隣の隣の街の森に行った。
行ったのは、ボルドーの隣のタランスの隣のペサックの隣のガジネという町。
ボルドーからアルカション方面に、電車に乗ること12分、田舎の小さな駅についた。
駅から少し歩くと、大きな公園があった。
人口的に作られた公園だというのはわかるけど、
松林が広がっていて、気持ちよかった。
松のあいだを歩くと、落ち葉が足をチクチクした。
葉が落ちているから、落葉松だと思う。
だけど、今ごろ落ちている葉は去年の葉かな。
プー子は、小林秀雄のからまつの歌を歌った。
それからどんぐりもたくさん落ちていた。
これは今年のどんぐりだ。
そういえばボルドー市内でも
最近はマロニエの樹の下を歩くと、
マロンの実がボタっと落ちてくることがあって、ちょっと危ない。
お兄ちゃんは食い意地が張っているので、
このマロンは栗だと思って食べて、渋い顔をしていた。
それもそのはず、見た目は似ていても、マロンと栗(シャテーニュ)は別ものだ。
シャテーニュは食べられるけど、マロンは食べられない。
マロングラッセというお菓子は、実はシャテーニュで作られている。
プー子はモンブランが食べたい。
ガジネの公園で、落葉松の葉とどんぐりの実を踏み分けて歩いて行くと、
湖が見えた。釣り人もたくさんいた。
プー子たちは、湖のほとりを歩いた。
何ヘクタールもある公園はとても大きくて、いろんな鳥が居た。
プー子たちは、カケスをとても近くで見た。
40センチぐらいの茶色い体に、白と青のラインが綺麗だった。
湖のほとりにはベンチとテーブルがあったので、
プー子たちはそこでお菓子を食べて、お茶を飲んだ。
小鳥の歌声が聞こえて、松の香りが漂って、
とても気持ちいい昼下がりだった。
ところが事件は起きた。
湖の対岸を、おばさんが、知的障害のある人を連れて、散歩していた。
プー子は、それを湖の反対側から、見るともなく、眺めていた。
すると、その瞬間、ミシミシっという音がしたかと思うと、
湖畔にある巨木、それも、そのおばさん達があるいている真横の巨木が、
音もなく倒れてきて、あっという間に、
大きな音と水しぶきを上げて、湖に倒れ込んだ。
最初のミシミシと、最後のバッシャーンのあいだは
奇妙なぐらいに静かだった。だけど本当に、一瞬の出来事だった。
おばさんは、Au secours(助けて)と叫んだ。
プー子は、フランスに来てから5年、現実にこの言葉を聞いたのは初めてだった。
ピエールおじさんは、あわてて駆け出した。
プー子も、お菓子とお茶をしまって、駆け出した。
みるみるうちに、釣り人、散歩の人、ジョギングの人、いろんな人が現場に駆け寄った。
若い10代の人もいて、プー子は、ちょっと、感動した。
大きな樹は、倒れるときに、横にある小さな樹も巻き込んで倒れたらしい。
そして幸いにも、障害のある人は、その二本の樹のあいだに座り込んでいた。
肩を打たれたようだったけど、命に別状はなかった。
おばさんも、無事だった。
もし大きな樹が二人の頭上にでも落ちてきたら、命はなかったと思う。
倒れた樹は、根元から倒れたのではなく、幹の途中から折れていた。
中には蟻がたくさんいて、樹は内側から浸食されていたのかもしれない。
あるいは湖畔にある樹はどれも
狭い地面に根を張っていて、見るからに不安定だった。
ある瞬間に、樹が重みに耐えられなくなったのかもしれない。
この湖畔の道は、プー子たちも30分ぐらい前に通ったので、
もしかしたらプー子たちの上に落ちてきていたのかもしれないと思うと、ぞっとした。
だけど、誰もいないときに静かに倒れることもできたのに、
よりにもよって人が通っているときに倒れるのは、
ちょっとこの人たちは不運だと思った。
けれども頭に落ちて来なかったと考えると、運がよかったのかもしれない。
プー子は、そんなことを考えながら、湖を後にした。
それからプー子たちは、松林を散策して、蝶々を観察して、
秋の訪れを楽しんだ。
ようやく公園を出ようと思ったところに、
ピーポーピーポーと消防車兼救急車がやってきた。
あの樹が倒れたときに、誰かが呼んだ救急車だ。
けれども、事件発生からゆうに30分は経っていた。
なんておそい救急車!
ピエールおじさんいわく、フランスでは
救急車を呼ぶと、呼んだ本人は救急車到着まで現場で待っていなければならないらしい。
その昔、あまりにも噓の救急車呼び出しが多かったので、
やってくる救急隊員と会話をしながら、現場で待つのが
救急車を呼んだ人の義務なんだそうだ。
しかもそれが30分以上もかかるのだから、もしプー子が呼んだ人だったら
通話料金が気になるし、何を話したらいいのかわからなくなりそう。
救急車を呼ぶには相当な覚悟が必要ってことらしい。
翌日、地方紙に記事が出ているかなあと思ったけれど、
一面は御嶽山の噴火で、どんなに片隅を探しても、
ガジネの湖畔の倒れた樹のことは載っていなかった。
載っていなかったということは、あの障害のある人は
大した怪我じゃなかったんだろう。